「国内模範の鉱山」として生産量・技術共に当時の最先端を誇った施設群
北沢浮遊選鉱場は、19世紀から20世紀に佐渡金山で採掘された鉱物を抽出するために作られた巨大コンビナート跡である。1869年に操業されると、いち早く欧米の先進技術を取り入れ近代化を図り、戦時下の1937年、増産体制による大設備投資がなされ、「東洋一」の規模を誇るまでに発展を遂げていた。しかし戦後、佐渡鉱山は縮小され1989年の操業停止後、わずか20年余りで廃墟化していた。これらの施設群は、選鉱所、シックナー、インクライン、発電所、工場跡など施設全般が残っていることから、その貴重性が評価され、現在は重要な産業遺産として公開されている。元発電所では、写真館として数々の資料が展示され、施設で働く人々など当時の様子を見ることができる。
大設備投資された浮遊選鉱場
浮遊選鉱場跡は、斜面を利用し建てられた東西約115m、南北約80mの広大な場所。採取した鉱石を選り分ける金銀生産の最終工程のひとつとして重要な役割を担った。選鉱場は、1937年、1ヵ月に3万トンの鉱物処理、1938年には、1ヵ月に5万トンの処理が可能な大選鉱場として施設拡大された。
神殿を思わせる巨大な濃縮装置、50mシックナー
施設群のひとつ、巨大な円盤状の建物跡は「50mシックナー」と呼ばれる泥鉱濃縮装置で、金や銀を含んだ泥状の鉱石に含まれる水分を分離する装置である。1940年、巨大シックナーが完成。東洋一と呼ばれる選鉱所が実現した。今では草に覆われ、廃墟となった姿が古代ローマの神殿を思わせ、過去の繁栄を伝える。