江戸時代末期までは寺が所有
吉城園は江戸時代末期までは興福寺の子院である摩尼珠院(まにしゅいん)があったところとされ、明治維新後(1868年頃)、寺院が受けていた特権を廃止して神道と仏教の分離を目的とした廃仏運動の中で、民間の実業家の邸宅となり、1919年に現在の建物と庭園が作られた。その後、企業の迎賓館として利用され、現在は奈良県の所有で一般公開されている。約9000㎡の敷地内には二階建ての主棟や蔵などが点在し、池の庭、苔の庭、茶花の庭からなり、苔の庭には離れ茶室がある。
建物と一体となるように造られている「池の庭」
主棟前に広がる「池の庭」は地形の起伏を生かして曲線を巧みに取り入れ、建物と一体となるように造られている。少し高い位置にある四阿(あずまや)からは遠くの若草山が望め、池の庭も一望できるビュースポット。「苔の庭」は地下水脈が豊富で杉苔の育成に適した土地を生かし、全面が杉苔におおわれた庭園。秋には紅葉の真っ赤な絨毯で覆われ、茅葺きの茶屋からは美しい景色が広がる。「茶花の庭」は、茶席に添える季節感のある草花が植えられ、四季とりどりの庭園の風景が見渡せる。園内には、万葉集にも詠まれた「吉城川」の清流が流れ、自然と調和した庭が見事だ。茶室は有料で貸し切ることができ、茶会が開かれることもある。
水や石で演出した動きのある庭園
吉城園のすぐ隣には、「依水園(いすいえん)」があり、江戸期、明治期と別々の時代に作られたふたつの庭園と、中国古代の美術品や日本の茶道具などを展示した寧楽(ねいらく)美術館がある。吉城園の落ち着いた雰囲気の庭とはまた趣が違い、水や石で演出した動きのある庭園が楽しめる。ぜひ足を延ばしてゆったりとした時間を過ごしてみては。