1300余年の歴史を誇る、興福寺
興福寺は、南都六宗の一つ「法相宗」の大本山。その歴史はとても古く669年、藤原鎌足の病気の平癒を願った夫人が諸仏を祀った「山階寺」が前身とさている。672年の壬申の乱の後、飛鳥へ遷都された際に移転し「厩坂寺」に。さらに710年の平城遷都の際、藤原不比等によって現在地へ移され「興福寺」と名付けられた。また興福寺は1181年の南都焼討、1717年の火災など、堂の建物は何度も焼失。明治初期の神仏分離令や廃仏毀釈でも大きな危機を迎えまるが、見事に復興。1998年には「古都奈良の文化財」として世界文化遺産にも登録された。
奈良のシンボル「五重塔」など、国宝建築に注目
興福寺には11の建物と、2つの遺跡がある。明治時代以降、興福寺の境内は奈良公園の一部になった。そのため、寺域を区切っていた塀や南大門もなくなり、今では天平時代の整然とした伽藍配置を想像することは難しい。とは言え、北円堂(鎌倉時代再建)などの国宝建築物や南円堂(江戸時代再建)など、見どころも多い。まず目に入るのが、高さ50.1mの「五重塔」だ。730年に光明皇后によって創建後、焼失と再建を繰り返すこと5回。現在の建物は1426年に再建された。とはいえ、600年以上も昔の木造建築が、今もなお立ち続けていることは驚きだ。通常は内部の拝観はできないが、薬師三尊像・釈迦三尊像・阿弥陀三尊像・弥勒三尊像が四面に向いて安置されている。夜にはライトアップされ、昼とは一味違った趣が楽しめる。
阿修羅像が鎮座する「国宝館」は、仏像の宝庫
興福寺で必ず拝みたい仏像といえば、やはり「阿修羅像」だろう。阿修羅はインド神話では軍の神で、激しい怒りを表すのが一般的。しかし、興福寺の阿修羅像に激しさは一切見られない。3つの顔と6本の腕を持つその象は少年のような可憐な表情で、見る者を魅了する。ほかにも「阿修羅像」が安置されている国宝館には、ほかにも像高520.5cmの巨像「千手観音菩薩立像」など、貴重な仏像を収蔵。しかもほとんどの仏像がガラスケース越しではなく、わずか数メートルの距離から直接拝見が可能だ。照明も工夫され、様々な角度から仏像の表情をはっきりと見ることができるのも興味深い。