幕末当時日本最大規模だった学校
幕末の水戸藩主徳川斉昭により創設された当時の日本最大規模の藩校。生涯教育を原則とし卒業はなしとされ、藩士とその子弟は15歳で入学、40歳以上の通学は任意だった。武芸一般はもとより、医学・薬学・天文学・蘭学など幅広い学問をとり入れた、いわゆる総合大学と呼ばれるものだった。斉昭の子、第15代将軍徳川慶喜も5歳から教育を受けたところだ。
今も残る重要文化財
「正門」は藩主が来館する際などの正式な場合のみ開門。柱には水戸藩最後の激戦といわれる1868年の「弘道館の戦い」のときの弾痕が今も残っている。学校御殿と言われた「正庁」は文武の試験場や儀式などに使用された場所。藩主が試験をご覧になった「正庁正席の間」は畳縁にまで徳川家の家紋である葵の紋が入っている。正庁と長廊下で結ばれた「至(し)善堂(ぜんどう)」は藩主の居間。慶喜が5歳から11歳まで学んだ「御座の間」を始め4室からなる。慶喜は政権を天皇に返上した大政奉還後、静岡へ戻るまでの4か月間、厳しい謹慎生活をここで送っていた。
偕楽園とともに日本遺産に認定
日本の文化・伝統をわかりやすく伝えるストーリー性があり、その魅力を海外にも発信できることを基準とした「日本遺産」。2015年に「弘道館」「偕楽園」を含む水戸市が「近世日本の教育遺産群」の1つとして日本遺産に認定された。日本の歴史公園100選にも選ばれた弘道館公園には約800本の梅があり、偕楽園とともに梅の名所となっている。楽しむ「偕楽園」と学ぶ「弘道館」はセットで訪れたい。