中国の高僧、鑑真ゆかりの寺
「唐招提寺」は、南都六宗の一つである律宗の総本山。759年、鑑真が戒律(仏教において守らなければならない道徳規範や規則)を学ぶ人たちのために開いた道場が始まりとされる。当時、戒律を授ける高僧が一人もいなかった日本では、僧の質の低下が大きな問題となっていた。そこで聖武天皇は正しい仏教の戒律を確立させるために、鑑真を中国から招聘。5度の航海の失敗など多くの苦難の末、両目の視力を失いながらも鑑真は来日を果たした。この偉業は、日本でも中国でも広く知られている。
奈良時代の建物が、今もなお健在
多くの寺院が数々の戦乱で焼失する中、今もなお天平時代の面影を残す「唐招提寺」。中でも「金堂」は、8世紀後半創建時の姿を今に残している。中央に本尊「盧舎那仏坐像(るしゃなぶつぞう)」、右に「薬師如来立像(やくしにょらいりゅうぞう)」、左に「千手観音立像(せんじゅかんのんりゅうぞう)」を安置。いずれも8~9世紀の仏像で、国宝に指定されている。また、開放的な空間が特徴の「講堂」も見逃せない。これは平城宮の東朝集殿(ひがしちょうしゅうでん)を移築し、改装したもの。平城宮の建物が残らない今となっては大変貴重な建物だ。
生き写しのような鑑真和上の表情に、感動
日本での仏教の腐敗を防ぐべく、12年以上もの歳月をかけて来日を果たした鑑真。そのお姿は「御影堂」で、毎年6月5~7日の3日間だけ拝むことができる。 高さ80.1cmの「鑑真和上像」は日本最古の肖像彫刻で、天平時代を代表する彫刻だ。目を閉じている姿は肖像彫刻としては異例とのこと。鑑真の不屈の精神までも忠実に再現したかのような、写実的な表現が見事だ。