安土桃山期の築城様式を取り入れた五層天守閣
1618年から、松倉重政が7年の歳月をかけて築いた城。かつてここには森岳と言う小山があり、別名森岳城とも呼ばれた。以来約250年間、4氏19代の居城として使用されていたが、1874年に廃城となり取り壊されてしまった。1960年代に地元の人々の復活の熱意が実り、破風を持たない独立式層塔型5重5階建ての天守や、櫓・長塀が復興され、城跡公園となった。石垣は築城当時のままの姿を残しており、本丸は周りを水堀で囲まれている。天守閣内入口すぐの場所には、島原の乱の指導者とされている人物 天草四郎や、鎧武者、忍者、町娘などに扮した観光ガイドがおり気分を盛り上げてくれる。また、忍者や侍に変身できる甲冑などの衣装が用意されていて、無料で変身して記念写真を撮ることができる。
島原の歴史が学べる資料が充実
天守閣内が資料館になっており、1階が「キリシタン史料」、2階が「郷土史料」、3階が「民俗史料」と各階毎に展示されており、5階は天守閣と展望所になっている。城の周りには高い建物が一切なく、島原の街や雲仙普賢岳、海が一望できる絶景ポイントだ。また、地元出身の彫刻家 北村西望記念館(巽の櫓)や、民具資料館(丑寅の櫓)、雲仙普賢岳噴火災害を映像と各種資料で紹介する「観光復興館」などの資料館として様々な展示が行われており見応えがある。特に、キリシタン資料館では、南蛮貿易時代から、宣教時代・禁教時代・弾圧時代と続き、島原の乱関連の資料が詳しく展示され、島原の歴史を詳しく知ることができる。