天守閣がない城
元々は浄土真宗の寺院であった金沢御堂を織田信長の命を受けた武将佐久間盛政が制圧し入城した。その後、加賀藩主の前田利家によって1583年から本格的な城造りが始められた。しかし1602年に落雷により天守閣が焼失した後、天守閣は再建されずに櫓と御殿のみが再建されたが、その後も度重なる火災で焼失、再建を繰り返したが、天守閣が再建されることは一度もなく、現在も天守閣(本丸)は跡地のみとなっている。金沢城の貴重な歴史的文化遺産を後世に継承しようと現在でも復元工事が行われており、2001年に復元が完成した菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓は延床面積1894.23平方mを誇る金沢城のシンボルとなっている。これらの建物は、戦の際に敵を防御するもので、石落しや鉄砲狭間となる格子窓、白塗漆喰壁や海鼠壁で防火構造となっており防御機能が随所にみられる。また、江戸時代のまま現存する石川門や三十間長屋などは国の重要文化財に指定されている。
石垣の博物館とも言われる金沢城
金沢城のみどころは多種多様の石垣だ。場所により石垣様式を使い分けたことや再建が繰り返されたことにより、広大な敷地の中には全く異なる種類の石垣を見ることができ、金沢城は別名、石垣の博物館とも言われるほどだ。広大な敷地をゆっくり歩いて観察することができ、同じく加賀藩主によって作られた日本三名園のひとつ「兼六園」と隣り合うため、合わせて観光したいスポットだ。