福岡・筑豊の炭鉱王の邸宅
筑豊の炭鉱王と呼ばれた伊藤伝右衛門が、明治期(1900年頃)に建て、出世とともに大正期、昭和初期に増改築を繰り返した大邸宅。元々は貧しい育ちで、魚の行商や船頭など職を転々としながら生計を立てていたが、父と手掛けた炭坑事業で成功し、炭坑王と呼ばれるようになった。
再婚相手の華族の令嬢・白蓮と10年間過ごした大邸宅
最初の妻を病で失った伊藤伝右衛門は、翌年に歌人であり、美しい華族の令嬢柳原白蓮と再婚、50歳にして25歳の若き花嫁を迎えるにあたり、大規模な増改築を行った。京都から宮大工を呼びよせ、天井から壁、目に見えない隅々まで、匠の技と隅々まで贅をつくし、平屋だった建物に白蓮のために2階に居室を造り、敷地面積約2300坪という敷地に、部屋数25という広大な家屋を設けた。アールヌーヴォー調のマントルピース、イギリス製のひし形のステンドグラスのある応接間、一畳たたみを敷き詰めた長い廊下等、様々な芸術的技法を取り入れた。窓ガラスはドイツ製、トイレは当時では見られなかった水洗トイレなど、当時栄華を極めた生活が垣間見ることができる。また、広大な回遊式庭園は現在国の名勝にも指定されており、2階の白蓮の部屋からは日本庭園が一望できる。
文化遺産として今も残る旧伊藤伝右衛門邸
伝右衛門の女遊びなども原因で、10年間の結婚生活は終わりを迎える。白蓮も「絶縁状」を叩きつけて駆け落ちしたこともあり二人の結婚は当時世間をにぎわせた。伝右衛門はその後も財界人として精力的に活躍を続きた