築城の名手が創った五角形の珍しい縄張り
1601年に現在の場所に、藤堂高虎が築城したとされる。宇和島市は、日本屈指のリアス式海岸地帯にあり、創建時には大半が海に面する地形を巧みに活かした縄張となっていた。城の外郭は上から見ると、不等辺五角形をした五角形平面の縄張り「空角の経始」は四角形平面の城と錯覚させる作りで、随所に築城の名手と言われた高虎ならではの工夫が見られる。城を攻める側は四角形の縄張りを予想して攻めてくるが、実際には五角形なので、一辺が空角になる。この一辺の空角は、敵の攻撃を避けられるとともに、敵を攻撃する出撃口ともなっており、このようなからくりは他の城には見られないものだった。
障子戸も残る保存状態の良い現存天守
現在の天守は、1671年に伊達宗利によって改築されたものが残されているが、基本的な城構えは高虎時代のものを引き継いでいる。現在、堀はすべて埋められ、三之丸をはじめ総郭部分約28万平方メートルは失われたが、本丸・二之丸などの郭を含む約10万平方メートルの城山は、国史跡に、現存12天守の1つに数えられる天守は国重要文化財、そして南側登城口城門の上り立ち門は市指定文化財に指定されている。3階建ての天守は保存状態も良く、廊下の内側に障子戸が残る形式は現存唯一とされる。天守閣の最上階からは、宇和島の街並みを一望できる。また、城山には300年以上火災や伐採を免れたため、400種の草木がうっそうと生い茂り、巨木や珍しい植物の宝庫となっている。