中国明朝の影響
中国僧 隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師が日本からの招請に応じ、1654年63歳の時に弟子達30名を伴って来日、その後徳川幕府援助のもと1661年に萬福寺を開創した。建築、儀式、作法などはすべて中国の明朝様式で、当時江戸時代の文化全般に影響を与えた。
明朝様式の境内の見どころ
中国様式の総門をくぐると三門があり、隠元禅師の書「萬福寺」の額が飾られている。中国寺院では一般的に玄関として見られるお堂「天王殿」に、「布袋尊(ほていそん)」が祀られている。布袋尊は中国に実在した僧で、小柄で太鼓腹、布袋を担いで各地を行脚し、人々を救済して回ったことから弥勒菩薩の化身と呼ばれ、福徳円満の神様として信仰を集め、縁起が良いとされる七福神の一人として崇められている。布袋尊と背中合わせに「韋駄天(いだてん)」というお釈迦様をお守りする神様が、本堂である「大雄寶殿(だいおうほうでん)」の釈迦如来と向かい合わせに祀られている。僧侶の食事場所「斎堂(さいどう)」には儀式法要の時間を叩いて知らせ、木魚の原型ともいわれる「開パン(かいぱん)」が吊るされている。建物全体を通して日本の寺院とは異なる雰囲気が感じられている。
隠元禅師が伝えた普茶料理
萬福寺では隠元禅師が中国から伝えた肉魚を使用しない精進料理「普茶(ふちゃ)料理」が有名で、日本の精進料理とは異なり、華やかに盛り付けられた大皿料理を分け合って食べ、胡麻油を使用した炒めものや揚げ物などの中国の調理方法が用いられている。