江戸時代を代表する庭園
1315年に宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)という僧侶によって創建されたが応仁の乱にて焼失。その後、一休和尚が復興。豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営んだ寺としても知られる。勅使門、三門、仏殿、法堂、方丈がある七堂伽藍を完備。方丈庭園は江戸時代を代表する枯山水で特別名勝・史跡に指定されている。本坊以外にも、境内には23もの寺院が並び、龍源院、瑞峰院、大仙院、高桐院が一般公開されている。
重要文化財「三門」のエピソード
大徳寺で最古の建造物で重要文化財に指定されている朱色の美しい「三門(さんもん)」。元々1階部分のみだったが茶道の始祖である千利休が2階部分を増築し、金毛閣と称し利休の像を安置し、秀吉に門をくぐらせたことから秀吉の怒りをかい、利休は後に切腹させられた。黄金の茶室を好んだ派手好みの秀吉とわびさびを極めた利休は徐々に関係が悪化し、金毛閣の件で秀吉の逆鱗に触れたといわれる。
千利休ゆかりの高桐院
高桐院は1601年に武将細川忠興(ほそかわただおき)が建立。忠興は茶人としても有名で、千利休の弟子でもあり、高桐院には千利休ゆかりの品も多い。書院「意北軒(いほくけん)」は利休の邸宅を移築したもので、壁にはイカ墨が練りこまれて雨漏りの滲みが表現されている。書院に続く茶室「松向軒」は秀吉が北野神社で開いた大茶会で使われた茶室と伝えられる。