水不足から民衆を救った石造り水路橋
江戸時代に造られた日本最大の石造りアーチ水路橋で、唯一放水もできる橋として知られている。1854年、水不足に悩む白糸台地の田畑に水を送るため、時の惣庄屋、布田保之助が、肥後の石工たちの持つ技術を駆使して建設した石橋で、江戸時代後期の技術力の最高傑作とも言われ、1960年には国の重要文化遺産に登録された。水路は長さ124m、橋の長さは75.6m、高さは20.2m、横幅6.3m、アーチの半径は27.6mある。約6km離れた笹原川の上流から水を引き、水路の総延長約30km、灌漑面積は約100haにも及び、今でも周辺の田畑を潤しており、100年前と変わらぬ姿を見ることができる。橋の上部にサイフォンの原理を応用した3本の石の通水管が敷設され、一昼夜で15,000平方メートルの水を送り、水田を潤す力を備えている。
大迫力の放水は圧巻
現在観光名物にもなっている橋上部からの迫力ある放水は、元々は年に一度、通水管に詰まった堆積物を取り除くための機能で、現役の水路機能を保ち続けている通潤橋特有のものだ。現在は8月~11月、4月~5月上旬頃の間のみ、午後1時より約20分程度の放水が行われる。毎日ではないので、ホームページで公開されている放水スケジュールを確認しよう。橋の上は歩くこともでき、手すりなどはなくスリル満点。放水の時に上から眺めることもでき、また違った迫力を味わうことができる。当時の貴重な道具や資料を展示している「通潤橋史料館」もあり、橋の近くには布田保之介の像があるので合わせて訪れたい。