時代とともに変化し続けた庭園
1636年に肥後細川藩初代忠利がお茶屋として作ったのが始まり。後に綱利の代で華やかな桃山式の回遊式庭園が作られたが、1740年代の政治改革により建物は酔月亭一つを残して撤去され、樹木も松だけの質素なものとなった。しかし1877年に熊本の城下が戦乱で焼野原となったことから、翌年に熊本の町を復興発展させようと藩主を慕っていた旧藩士たちが協賛者を集い、細川家に関わりの深い成趣園内に「出水(いずみ)神社」を創建した。第二次世界大戦でほとんどが焼失したが、1973年に復興工事が完了し現在の姿に至る。
豊かな湧き水を利用した回遊式庭園
江戸時代の江戸から京都の風光明媚な街道「東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ」を表した庭園は桃山式回遊式庭園の日本三大名園のひとつとしても知られる。阿蘇の湧き水が流れ込む10000㎡もの池の周りをゆっくりと回れる散策コースがあり、国の名勝史跡として文化財の指定を受けている。庭園内の湧き水は名水百選にも選ばれており、神社前にある神水は長寿のご利益がある水としても知られる。庭園内の最も美しい眺めが楽しめる場所が、京都御所から移築された萱葺の建物で重要文化財にも指定されている「古今伝授之間(こきんでんじゅのま)」。現在はお茶処として座敷に座ってゆったりと山と水の調和が美しい庭園の眺めを楽しめる。湧き水は年中18度の水温が保たれていることから、冬の水温と気温の差が大きい明け方には水蒸気が発生し、靄(もや)がかかり幻想的な風景を創り出す。美しい湧き水の池と緑を眺めながら時間を忘れてゆっくりと散策を楽しみたい。