こども全員に先立たれた北条政子
源家の邸宅跡に建てられた寿福寺は鎌倉幕府を開いた源頼朝の妻、北条政子が建てたお寺。幕府の実権を握っていたため政子は「尼将軍」とよばれていた。嫉妬深い鬼嫁のイメージが強いが子供たちのことでは大変な苦しみを背負いながら生涯を終えたと思われる。2男2女をもうけたが高い位の子は実の母親ではなく乳母に育てられる習慣がある。長男 頼家(よりいえ)の乳母だったのは比企氏。さらに比企氏の娘と結婚した頼家は政子と疎遠に。源氏と比企氏間の勢力争いで頼家は暗殺されてしまう。次男の実朝(さねとも)は頼家の子に鶴岡八幡宮で暗殺される。婚約者が殺された長女の大姫(おおひめ)は生きる気力を失くして病気を繰り返し、最終的に自殺。天皇に嫁ぐことが決まっていた次女の三幡(さんまん)までが高熱を発し助からなかった。
鎌倉で最も美しい参道
国指定の史跡となっている境内だが、通常公開されているのは総門から参道をわたりきった中門までと、本堂裏のやぐら(横穴式のお墓)のみ。高い木々に囲まれ苔むした300mほどの参道はまっすぐのびる石畳。鎌倉で最も美しい参道といわれている。中門を左にまがり、奥へ進むと広大な墓地がある。30穴からなるやぐら群には北条政子や息子の源実朝の五輪塔があるほか、俳人や作家など多くの著名人が眠っている。特別拝観日のみ入ることができる本堂には高さ2.7mの貴重な釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)などがまつられている。