250年ものあいだ大名や旅人を悩ませた難所
江戸を中心に5つの街道が開かれたとき、守りを固めるために各街道に関所を置いたのが始まり。1618年に箱根に関所が置かれるが、大名が一定期間交代で江戸居住を義務付けられる参勤交代の制度が始まると取り締まりが厳しくなる。はじめは大名に対しての取り締まりだったが、次第に町民にまで広がり箱根を行き来する人を悩ませることとなった。1869年に廃止されたが2007年に完全復元。建物の内部には当時の役人の姿を再現した人形が置かれているが服の色など詳細が明らかになっていないため、無色で展示されている。
特に厳しかったのは「入り鉄砲に出女(いりでっぽうにでおんな)」
江戸時代の交通政策の1つに「入り鉄砲に出女」がある。江戸に入ってくる鉄砲(入り鉄砲)と女性が江戸から外にでる(出女)ことに関して特に注意して取り締まられたという意味。女性ははじめ参勤交代によって人質として江戸に住まわされていた大名の奥方に限られていたが、次第に女性の旅自体を制限するようになっていった。人見女(ひとみおんな)と呼ばれる老婆は髪の毛やほくろ、妊娠の有無まで調べられ、恐れられていた。関所破りは重大な犯罪とされ、行おうとした者あるいは手引きした者ははりつけの刑など厳罰が課された。関所の裏側にのびる階段を上ると2階建ての建物がある。ここはかつて関所破りに備えて街道や周辺、芦ノ湖を見張っていた「遠見番所」。現在では絶景スポットとして人気があり、晴れた日には富士山を見ることができる。