三社祭の歴史
浅草寺の本尊「聖観音像」の発見者である桧前兄弟と、その本尊を祀り浅草に寺を開いた土師真中知の3人を「三社権現」とし祀ったのが三社の始まり。漁師だった桧前兄弟が漁の最中に聖観音像を見つけたことから、1312年に始まった祭り当初は、船に神輿を乗せる船祭であった。その後、明治期(19世紀末)に起こった神道と仏教の分離運動から、今までひとつであった浅草寺と浅草神社は分離し、三社祭は浅草神社のみによって執り行われるになった。やがて祭が発展し、勇壮な掛け声と共に街中を練る今のスタイルになったのは明治期以降と伝えられている。ご神霊が宿った神輿をかつぎ、街中を練ることで街の安全と平穏を祈願する浅草の人々にとって大切な祭だ。
3日間に渡り行われる大例祭
三社祭は毎年5月第3週の金、土、日曜日に行われる。その3日間、街は祭りの熱気で華やぎ、多くの露天商も並び大いににぎわう。祭の前夜、浅草神社にて本社神輿に御神霊を移す儀式がおごそかに行われる。初日は華やかな装束をまとった演者たちによるお囃子や舞の華やかな行列、社殿や神楽殿で舞の奉納など、日本文化が堪能できる。この時奉納される「びんざさら舞」は、五穀豊穣、商売繁盛、子孫繁栄などを祈って舞い、無形文化財に指定されている。2日目はいよいよご神霊の宿った100基の神輿が街へ勇ましく繰り出していく。人々の熱気のなか神輿が街を練り、街は興奮に包まれる。3日目、最後に浅草神社本社の神輿が街を渡る。神社に戻りおごそかに舞や太鼓の奉納、ご神霊を社に返す儀式が執り行われ祭りは終わる。
*神輿とは 神道の祭の際に、ふだん神社にいる神霊が御旅所などへ渡御するに当たって一時的に鎮まるとされる輿である。 輿であるから通常は担ぎ上げて移動するものを指して言うが、それを台車に乗せて曳くものなど、別形態のものを指すこともある。 出典:言語由来辞典