火災や兵乱で荒廃したが、豊臣秀吉が再建した醍醐寺
874年に空海の孫弟子、聖宝が上醍醐山上で醍醐水・霊泉がわき出るこの山を譲り受け、観音像を安置したのが始まり。ときの醍醐天皇が、釈迦堂、薬師堂、五大堂を建立し、のちも村上天皇が五重塔を建立するなど、天皇家と関わりの深い寺。火災や兵乱で荒廃するも、豊臣秀吉、秀頼により「醍醐の花見」を機に再建が行われた。境内は広大な敷地で、山頂の上醍醐、ふもとの下醍醐、1115年に建設された三宝院の3つに大きく分かれている。
盛大な宴で有名な醍醐の花見
1598年の春、当時62歳の秀吉は花見の為に700本の桜を植え、三宝院の建物と庭園を造り、1300名を招いて盛大な宴を開いた。現在も毎年4月の第2日曜日には、当時の様子を再現した「豊太閤花見行列」が開催され、多くの観光客で賑わう。かわづ桜、しだれ、ソメイヨシノ、山桜、八重ザクラ、三宝院の大紅しだれと金堂の大山桜が咲き終わるまで約3週間、1000本の桜が順に咲き乱れ、京都の桜の名所として知られる。
秀吉の果たせなかった紅葉狩り
秀吉が設計した三宝院庭園は紅葉との調和も大変美しい。しかし秀吉は、花見は開催したが、紅葉狩りを開催する夢は果たせなかった。紅葉の美しさは後世に残した秀吉の形見ともいわれる。また、仁王門奥の参道には紅葉のトンネルがあり、下醍醐の観音堂や弁天堂が建つ池を中心にした「林泉」は水面に映る紅葉と建物が息をのむ美しさ。秋に開催される夜間ライトアップは完全予約制(FAXまたはインターネット)で、幻想的な紅葉が楽しめる。