京都、鎌倉などから古建築を移築した三渓園
1906年横浜で、生糸貿易に成功した実業家原三溪は、17.5ヘクタールもの広大な土地に理想の庭園を造った。京都、鎌倉などから古建築を移築、土地の自然な造形に合わせ17棟の建築物を精緻に配置した。これらの建築物のうち10棟は国の重要文化財、3棟は横浜市指定有形文化財に指定されている。自然の持つ景観と、計算されて置かれた日本建築の生む造形美はこの庭園ならではの美しさだ。
古美術と近代日本美術のコレクション、三渓記念館
原三溪は実業家としての成功だけでなく、芸術にも優れたセンスの持ち主で、自身も書画をたしなむ。また、古美術と近代日本美術のコレクターとしても有名だ。存命中は画家や彫刻家を援助し、三溪園を新進芸術家たちの育成、支援の場として提供し、多くの近代日本画家を育てた。(前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法に師」など)園内にある三溪記念館には、三溪自身による書画を始め、ゆかりの画家による作品、美術工芸品、古建築“臨春閣”の障壁画のオリジナルなどが展示されている。また、この記念館のロビーにある抹茶処“望塔亭”では、実際に抹茶をたてる体験をすることができるので、興味があれば申し出てみよう。
第二次世界大戦で被災後復元された庭園
三溪の没後、三溪園は戦災で被害を受け、庭園は原家により横浜市に寄与された。現在は財団法人三溪園保勝会によって庭は守られている。被災後復元された庭園は、2006年に国の名勝に指定され、変わらぬ美しい景観で人々を魅了し続けている。 三溪園は、造園の景勝、国の重要文化財建築の美しさのみならず、四季折々に見せる花による景色の変化もまた見どころ。春の桜、夏の菖蒲、秋の紅葉、冬枯れの侘びた風景、そして椿。四季それぞれの表情を持つ日本庭園で、日本独自の美のセンスに触れる一日を過ごしてみては。特に、春の桜の時期に行われる夜間ライトアップは、幻想的で毎年人気を博している。 富豪三溪の庭造りと、日本の伝統美への情熱。所蔵美術品から庭園に咲く草花、石の配置に至るまで、それは単に物ではなく、原三溪という人そのものという哲学を、ぜひこの庭で感じてみてほしい。