豪華客船、戦争中の病院船、・・数奇な運命をたどった氷川丸
1930年竣工。昭和初期、北太平洋で展開されていた米国やカナダとの貨客船就航の一環として造られた。乗客定員289名、最新鋭のエンジンが搭載された豪華客船だ。「氷川丸」は埼玉県の氷川神社にちなんで名づけられた。操舵室には神棚もあり、船長は横浜に入港するとわざわざ氷川神社に参拝して航海の安全を祈願したと伝えられている。シアトル航路の豪華客船として華々しくデビューするも、第二次世界大戦中には病院船としての使用を余儀なくされる。日本郵船の大型船で唯一沈没をまぬがれた氷川丸は終戦後、再びシアトル航路に復活。船齢30年となる1960年に第一線を退く。引退後は横浜市指定有形文化財に指定され、2008年から一般公開される。
チャップリンも使用した部屋も
当時の資料をもとに改修された船内はアールデコ様式の一等食堂や一等喫煙室、一等特別室などを見学できるほか、氷川丸の歴史を紹介する展示コーナーやプロムナードデッキからは横浜港の風景をみることができる。ただでさえ太平洋を渡る航海が贅沢とされていた時代のものであることを考えるとまさに選ばれた人たちのための施設だといえる。中でも一等特別室は寝室以外に応接室や浴室までそろっており、チャールズ・チャップリンが1932年、日本から帰国する際に使用した部屋として知られている。当時の贅を尽くしたレトロな雰囲気をいまも残している。