さまざまな場所で遊べる街、新宿
東京でも1番の繁華街新宿は、ひとつの街の中で様々な個性を持つエリアに分かれている。若者の集まるショッピングエリア、高層ビルが立ち並ぶ摩天楼オフィス街、キャバレーやクラブが集まる歓楽街。 その中で、華やかなビルやデパートのある大通りエリアから1本入った脇道、歌舞伎町一丁目の花園神社そばに、新宿ゴールデン街がある。 暗い夜道にぼんやりと点るゴールデン街のアーチ状の看板をくぐると、そこは別世界だ。 ねこの道のように狭い小路がいくつもあり、決して広くないその一帯に、10人入ればいっぱいになるような小さな狭い店がびっしりとくっつきあって連なっている。大抵はバーだが、ラーメン屋や串揚げ屋など気軽に入れる店もある。常連で席が埋まってしまう小さな店が基本で、ジャズバー、フラメンコバー、シャンソンバーなどの音楽にこだわったバーや、漫画バー、文壇バー、映画バー、など趣味が特化されたバー、または小さな劇場など、200軒以上の個性的な店が並ぶ。 大歓楽街歌舞伎町と違い、ゴールデン街には作家や詩人、漫画家、映画監督など文化人が通い、または会社帰りのサラリーマンが自分好みの店を見つけてはゆっくり酒を飲むという、遊びなれた大人の隠れ家というイメージが強い。しかし、最近の若者の間に流行する(1950年代)昭和時代ブームの影響か、ゴールデン街は昔懐かしい昭和の匂いがする一角として、若者たちも出入りするようになった。ゴールデン街の独特な雰囲気に憧れ、新しくここに店を構える新世代オーナーも増え、彼らはゴールデン街のニューウェーブと呼ばれている。 町の歴史は1945年、終戦後まもなく闇市として始まったマーケットがその前身と言われている。占領軍により立ち退きを命ぜられたのち、この土地に移転。一方、古くからの遊郭だった新宿2丁目で露店を営んでいた人々も移って来て、二つの強い勢力がこの街を作り上げた。その後、売春防止違法により遊郭は営業できなくなり、バーがひしめき合う飲み屋街と変わって行った。 日本の高度成長期や、空前の好景気に沸いたバブル景気、その後の不況など、変わりゆく戦後の日本のなかで、店の新旧交代はあれども、絶えることなくゴールデン街の店は小路に灯りをともし続ける。