流行の発信地として発展したワケ
もとは1920年、明治神宮の参道として開通した通り。流行の発信地となった理由はいくつかある。高級官吏や文化人が入居した同潤会青山アパートの出現や第2次世界大戦後にできたワシントンハイツ(GHQの将校のための居住施設)。1964年の東京オリンピックではワシントンハイツが選手村として開放されるなど国際色豊かな地域に発展。戦後の復興とともにハイカラな街へと変化していった。
高級ブランドやおしゃれなファッション、雑貨がそろう
2006年に同潤会青山アパートの跡地に建てられた「表参道ヒルズ」。地上6階、地下6階の約100店舗の専門店が集まる。上質で個性的、そしてオンオフの境のないファッションスタイルを提案。「東急プラザ表参道原宿」は2012年にファッションテーマパークとして誕生。日本初上陸ブランドや最旬ショップなどを展開するスペース「OMOHARA STATION」やオリジナルスイーツを展開するカフェ、屋上は「おもはらの森」として憩いの場とするなど次世代型ショッピング空間として新たな取り組みがおこなわれている。また、原宿に隣接していてにぎやかなイメージが強いが、裏道を入ると静かで個性的な店が建ち並んでおり、センスのいい洋服や雑貨に出会える。
イルミネーションの復活
1991年から1998年まで12月には通り沿いのけやきの木を電球でおおう大がかりなイルミネーションを展開していた。各地から人が集まり人気が定着していたが、見物客に対する不満や木への負担が大きいことから中止に。だが表参道から元気を発信したいと地元住民の声もあり2009年、11年ぶりに復活。およそ100本のけやきの木にLEDを設置。取り付け方も木への負担が軽減されるよう工夫されている。復活したあとも日本のイルミネーションのさきがけとして堂々たる風格をかもしだしている。