民衆を救済するために建立された寺
593年に聖徳太子が四天王を安置するために建立した、日本初の本格的な仏教寺院。南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む、6~7世紀に中国や朝鮮半島でみられた大陸の様式を今日に伝える貴重な建築様式。仏教の根本精神の実践の場として、仏法修行の道場「敬田院」、病者に薬を施す「施薬院」、病気の者を収容し病気を癒す「療病院」、身寄りのない者や高齢者を収容する「悲田院」の四箇院が設けられ、現代の社会福祉施設にあたる施設が存在していた。境内の多くの建物は幾度も戦災や災害で焼失し、現在の建物は1963年に再興されたもの。聖徳太子を祀る「太子殿」や、日本庭園「極楽浄土の庭」、拝観可能な「五重塔」、神社では珍しい「石の鳥居」など見どころが多い。四天王寺は、日本一の高さを誇るビル「阿倍野ハルカス」からも徒歩圏内で、お寺の古代建築とハルカスの現代建築が一度に眺められるビュースポットとしても人気。
聖徳太子の一生が描かれた絵伝は月に一度公開
聖徳太子は二十歳で天皇の政治を補佐する役職に就き、幼い頃から10人の話を一度に聞き分けたという逸話もある聡明な人物といわれている。当時豪族たちが勢力争いで土地や人々を支配していたが、争いを沈め、天皇中心の新しい国造りを目指した。家柄に関わらず能力のある人が重要な役職に就く制度や、役人の心構えを表す憲法を作り、中国に遣いを派遣し交流を始めた。毎月22日に聖徳太子の一生の伝説が描かれた絵伝が「絵堂」で公開されている。また、毎月21日と22日には骨董品、衣類、食べ物などの露店が並び賑やかだ。