最盛期の1960年には5,300人が住み、人口密度は世界一
長崎港から船で30分の場所にある端島(はしま)で1810年頃に石炭が発見され、それから80年ほど経過した1890年に三菱社が島全体と鉱区の権利を買い取り、本格的に石炭の発掘が開始された。島の形が軍艦に見えることから軍艦島と呼ばれた。島の半分以上は鉱場で、残りの土地に病院や学校・寺院・神社・派出所や映画館・理髪店などが立ち並び、完全な都市として機能していた。最盛期の1960年には5,300人が住み、人口密度は世界一で、東京の人口密度の9倍以上だった。日本初の高層鉄筋コンクリートアパートや日本発の海底水道や日本初の屋上庭園など、最先端技術が取り入れられ、現代の大都市に通じる近未来都市だった。主要エネルギーであった石炭が石油へと移り、衰退の一途をたどった。1974年1月に閉山、この年の4月に全ての住民が島から離れ、軍艦島は無人島となった。それ以来、島への立ち入りが禁止されていたが、2009年より観光・見学が可能となった。 廃墟でありつつも、テレビを始めとする家電や生活の名残がそのまま放置され、島全体が繁栄当時のまま残っており、高度成長期の日本を感じることができる。 ツアー会社がいくつかあり、長崎港より高速船で出発。軍艦島には老朽化した鉄筋コンクリートの建物が密集して大変危険なため、船で島の周りを一周して見学となる。その後、島に上陸し、ガイドとともに約1時間の見学ができる。英語が話せるガイドもいるので、事前に問合せが必要。