長崎に色濃く残る中国文化
1893年に中国清朝政府と華僑によって建造され、学問道徳の神として孔子の遺品を納め祀ったのが始まり。孔子は没後2500年経った今も、中国、東南アジアにおけるもっとも重要な思想となった儒経の開祖で、社会教育者であり学校教育者でもある。長崎は220年間の鎖国中も唯一の開港地として認められ、中国・欧州文化の受け入れ口として、日本近世近代文化に重要な役割を担った。その為、長崎は中国人が多く居住し、その子孫である華僑たちによって建造されたのが孔子廟。第二次世界大戦中の原爆で崩壊寸前まで荒廃したが、再び華僑によって修復された。
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朱色や黄色で彩られた極彩色の建物は、中国華南と華北地方の建築様式が合体した中国本廟の伝統的な廟宇で、中国情緒に溢れた雰囲気が漂う。真ん中は神さまと皇帝以外の通行を禁じて平常は閉ざされている神聖な門、儀門を抜けると、中国から取り寄せられた孔子の高弟72人の賢人石像がずらりと並んでいる。一体の重さは約1.5トンの大理石製で、2年がかりで準備されたもの。一体ずつ役職ごとに異なる衣装をまとい、表情や動きも個性豊か。本殿中には孔子の像が祀られている。孔子廟に併設して、中国政府の協力を得て、日中友好の場として「中国歴代博物館」があり、2階には北京故宮博物院提供の宮廷文化財、3階には中国歴史博物館提供の出土文化財などの中国の一級物(国宝)が、年代や王朝別に分かりやすく展示されている。中国古代の青銅器や磁器、唐代の三彩や明・清代の美術工芸品が展示され、一年ごとに展示が入れ替えられている。