経済・文化・芸術の交流拠点・出島
1550年よりポルトガルとの貿易港として発展した長崎。しかし国内のキリスト教徒の増加と団結が幕府にとって威力となり、1634年よりキリスト教の布教を防ぐため、ポルトガル人を一か所に集めて管理する目的で2年かけて扇型の人工の島「出島」が建造される。その後ポルトガル人は国外追放され、約200年に渡り日本と海外の外交・貿易を制限した「鎖国」が続いた。その中で唯一オランダは幕府への忠誠を示し、信頼を得てオランダ商館が出島に移転。鎖国中も唯一の西洋の貿易国となり、出島は経済・文化・芸術の交流拠点として日本の近代化に重要な役割を果たした。1900年以降、役目を終えた出島周辺の埋め立てが進み原型を失ったが、現在は歴史的遺産を復元する工事が行われている。当時、出島には住居や料理部屋、蔵、番所など49棟もの建物があり、現在は10棟の復元された建物を見学できる。築造当初ポルトガル人が住んでいた江戸時代の護岸石垣や、坂本龍馬たちが活躍した幕末、開国後の出島の石倉、更には明治期の貴重な木造洋風建物など、4つの時代の遺構を見ながら出島の変遷をたどることができる。タイムスリップしたかのような街並みが再現され、復元された建物内は博物館になっており、出島の歴史や生活に関する展示や、当時の生活様式が再現されている。長崎市内からアクセスもよく、近くには眺めのよい海沿いに建つ「NAGASAKI DEJIMA WHARF」という飲食施設があり、新鮮な魚介を味わえる和食、中華、イタリアン、カフェなどたくさんの店が並んでいる。