壮大な熊本城の築城と都市設計
1607年に肥後の領主加藤清正(かとうきよまさ)によって7年の歳月をかけて築かれた日本三大名城のひとつ。当時は大小天守閣をはじめ、櫓(やぐら)49、櫓門18、城門29を数え、城郭の広さは約98ha、周囲約5.3kmにも及ぶ壮大な面積で、城内には銀杏や楠の巨木が繁り、周辺は今も城下町の面影を残す美しい名城として知られる。
創意工夫された見応えのあるお城
広大な敷地には城内へ入る4つの門があるが、初めての場合はメインの門となっている「頬当御門(ほほあてごもん)」からのからの入城がおすすめ。門前には甲冑姿の武士が立つ演出が行われ、ボランティアガイドの受付などがある。「宇土櫓(うどやぐら)」は建立当時のままの貴重な木造の櫓で重要文化財に指定されている。天守閣のように反り返らない直線的な破風(はふ)が特徴で、三層五階に地下を備えている。「闇り通路(くらがりつうろ)」は全国でも珍しい地下にある通路で正式な本丸御殿への通路。石垣の中には築城当時のものも含まれており、西南戦争時の火事の痕跡も垣間見える。2008年に復元された「本丸御殿(ほんまるごてん)」は藩主の居間や台所などが完備された熊本城の中核をなす建物で、当時は53もの部屋が存在したと伝わる。「天守閣(てんしゅかく)」は標高50mの茶臼山の頂上に位置し、大天守閣(3層6階地下1階約30m)と小天守閣(2層4階地下1階約19m)から成る複合天守閣。戦争で焼失し、1960年に再建されたもので、大天守閣の最上階からは熊本市街を一望できる。瓦の列や数まで細部にわたって忠実に再現され、黒を基調にした重厚な趣のある天守。内部には肥後歴代藩主の武具や調度品や、西南戦争の資料などが展示されている。