森の恵みが産業に貢献、近代製鉄初期の高炉跡
橋野高炉跡は、山と沢のはざまに作られた、300mほどの細長い敷地に点在する産業遺跡群だ。19世紀に建てられた3つの高炉跡を見どころのハイライトに、鉄鉱石を加工するための施設「種焼場、種砕水車場」、人の出入りを監視した高炉の入り口「大門」、事務所の役割をした「御日払所」などの遺跡が残る。周囲に広がる自然は、良質な鉄を作るために欠かせないもので、近隣で採れる良質な花崗岩は高炉の石組みに使われ、豊かな森は切り出されて木炭となり、高炉操業の重要な役割を果たした。他にも、山を神と敬った「山神の碑」や「山神社鳥居」が静寂の中にたたずみ、産業文明と自然が信仰で結ばれた神秘の風景を見る事ができる。
“西洋の科学技術と日本の文化の融合”世界遺産認定までの道
高炉の建設は、当時鎖国状態にあった日本が、開国を迫る欧米諸国に対抗するために始まった。高い技術を必要とする大砲の製造が求められ、日本各地で洋式技術による高炉の建設が進められた。橋野高炉はそのひとつとして1858年に操業が始まった。その後、1860年までに2基が建設され、操業は1894年まで続いた。1957年、日本に現存する最古の洋式高炉として国史跡に指定、1984年にアメリカ金属協会による「ヒストリカル・ランドマーク賞」を受賞した。そして2015年、“西洋の科学技術の広がりが日本の文化と融合し、極めて短い間に産業化を遂げた極めて稀な技術の歴史”などが認められ、「明治日本の産業革命遺産、 製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」の構成資産とひとつとして九州、山口などに残る同時代の産業遺跡と共に世界遺産に登録された。