天空の城、日本の”マチュピチュ遺跡“
兵庫県朝来市、自然が豊かな但馬地方の南にある古城山の山頂に、”日本のマチュピチュ“と呼ばれる城の遺跡がある。標高353.7m山頂にあり、トラが臥(伏)しているように見えることから、虎臥山(とらふすじょう・こがじょう)とも呼ばれていた。しかし、この城は今はなく、残された石垣群の遺跡がその史実と長い時の経過を語り続ける。それでも竹田城跡が今なお人々の心を魅了し続ける理由は、その地形が作り出す幻想的な風景にある。秋から冬にかけての良く晴れた明け方から早朝に、川から上がる朝霧が深く立ち込めたとき、竹田城跡のある山頂に見事な雲海が広がる。その風景はまさに天空の城、日本の”マチュピチュ遺跡“と呼ばれるゆえんである。城の歴史は不明な点も多いが、1441年から1443年ごろ但馬の守護大名、太田垣氏によって基礎がきづかれたと伝えられる。しかし、戦国時代という戦乱の時代に入ると竹田城はその戦火から逃れることができず、数々の戦にかかわることになった。1580年、将軍 織田信長命令により攻め込まれた竹田城は敗北し、太田垣氏による支配は終わった。新たに赤松広秀が城主になると再建が始まり、規模も拡張され完成した。現在、残されている遺跡は赤松広秀によって建てられた城の跡である。しかし、その歴史も短く、1600年、戦国時代の終焉の決め手になった関ヶ原の戦いにおいて広秀は敗戦、切腹を命ぜられ生涯を終えた。新しい城主を迎えたが、その後の新しい時代、江戸時代になり幕府の命令により城は廃城とされた。戦国時代の壮絶な歴史をもちながらも、空高く美しい山々をいただくこの場所に眠り続ける廃城。時を超えたロマンは極上に美しい霧に彩られ、人々の心を鼓舞し続ける。その山頂の城を城下から見上げ、雲の中に浮かぶ姿を見るのも美しいが、山に登り、川霧にかすむ山道の向こうにある絶景も素晴らしい。廃墟となり、石垣だけが残されたその場所から眼下に見渡す風景の美しさは、悲しい史実をより際立たせることだろう。もし、美しい霧を切望するのなら、11月、前日の日中の温度が比較的高く、夜が冷え込んだ次の朝がねらい目とのこと。下に流れる川が温度差により冷却され、美しい霧が発生する。また、近年「恋人の聖地」として認定されたので大切な人と訪れるのもよいだろう。ただし、12月から3月の冬の間は雪により入山禁止にいなっているので注意。