富岡製糸場とは?
1872年、明治政府が設立した日本初の製糸場。当時の日本の生糸は海外から高く評価されていたため、生糸の輸出拡大をねらいフランスから技術者を招き入れ、本格的で大規模な器械製糸工場を設立したのが始まり。2014年に富岡製糸場のほか、近代養蚕農家の原型、田島弥平旧宅や養蚕教育機関の高山社跡、蚕種貯蔵施設の荒船風穴を構成資産とする「富岡製糸場と絹産業遺産群」として世界遺産に登録されている。
世界遺産に選ばれた理由
明治時代にはほかにも工場を建設しているが、富岡製糸場ほど保存状態が良好な工場はほとんどない。19世紀後半の工場は世界的にも珍しく、世界遺産の評価へつながった。当時のまま残されているフランス積みと呼ばれるレンガの積み方や自然光を多く取り入れる工夫がされた窓ガラスなど、知ると面白い見どころも多い。
生活環境も整っていた工場内
場内はコの字型に製造関連施設を配置し、周辺に宿舎などの生活関連施設が建てられている。長さ約140mの工場内は300人の女性が一度に作業できる圧巻の広さ。自動繰糸器が保存されており、場内では器械が動く様子を映像で紹介している。1000㎡もの広さをもつフランス人指導者ポール・ブリュナの住居には桜や紅葉を眺めるよう工夫がされ、日本の四季を楽しんでいたと思われる。東西に建てられた繭倉庫のほか、社宅群や診療所までもが置かれており、当時の労働環境としては先進的であったことがうかがえる。