美観の中に道元禅師の教えが息づく座禅修行の寺
永平寺は、1244年に道元禅師(どうげんぜんじ)により開かれた座禅修行の道場である。幼くして両親を失った道元禅師は14歳で出家、24歳で中国に渡り、厳しい修行の後に帰国し京都に道場を開いたが、在来の仏教勢力からの迫害を避けてこの地に移り道場を開いた。「座禅」を修業の中心とし、その精神を日常生活に取り入れていくことの大切さを説いた。禅とは物事の真実の姿を見極め、正しく対応していく心の働きを整える事。雲水(うんすい)と呼ばれる永平寺の修行僧たちは、生活すべてが修行という教えに従い、朝の座禅に始まり、読経、食事、掃除、また入浴や排せつに至るまでが修行とし日夜励んでいる。永平寺では、数々の文化財の美しさのみならず、修行僧が毎朝務める掃除による磨かれた回廊、または接客などにも、道元禅師の説いた崇高な精神を感じることができるだろう。
山腹に「座禅」を模して建つ文化財建築の数々
約33万㎡の広大な境内は、樹齢700年の杉に囲まれ静寂が流れる。山の傾斜に沿って建てられた七堂伽藍(しちどうがらん)を中心とした大小70もの文化財建築が建ち並び、日本曹洞宗発祥の聖地と呼ばれる道元禅師の墓所「承陽殿(じょうようでん)」、説法道場の「法堂(はっとう)」、本尊の釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)を祀る「本殿」など、荘厳な文化財がそびえる。七堂伽藍とは禅宗寺院の特徴とする配置で、座禅を組む人の姿に例え、もっとも高所に位置する「法堂」を頭、「仏殿」を心臓、食事を作る厨房で賓客をもてなす「大庫院(だいくいん)」を左手、僧たちの座禅・食事・就寝の場である「僧堂」を右手、「山門」を腰、「浴室」は左足、「東司(とうす)」と呼ばれるお手洗いが右足を意味し、座禅の世界観が反映されている。